ビジネススクール同期のシンガポール人とコンビで裁定取引(アービトラージ)から開始。ふと見たらTongLee(彼はその後、為替トレーダーを住信で経験後、GeneralReという世界最大の再保険会社のディリバティブヘッド)の電話を持つ腕がめちゃくちゃ震えてた! 私が10年債15本、TongがLongBond(LB, 30年債)10本売買。アウトライトで別々に買いに行ったが、後ほど、スプレッド(LBと10年債のイールド)にて指値すれば良いと判明! (本=百万ドル単位)
Tongはかなり良い奴で、私が2年生の秋(新学期)に米国人前妻に初の別居となり、超鬱状態なのを知ってて、International Businessの共同ペーパーを一人で描いてくれ、私の数少ないAとなりました。
当時は二人でOTC(Over the Counter, 店頭)オプションを数社に電話掛けまくるとそれだけで裁定機会がありました。
後に二人は別々のポジション持ち出すが、二人とも大損(私は百万ドル以上、Tongも同様?)Tongはクビになると思って、大泣き、当時のボス(日本人、凄腕トレーダー)が慰めてました。
私のポジションは二度、ナンピン掛け、最後はLB(Long Bond, 30年債)が発行上限に達したのに対し、これをショート(空売り)してたもんだから、もう大変! しかし、その翌週の10/19、ブラックマンデーまで持っていたら、逆に200万ドル儲かってました!
私はトレード損の反省にて一週間、居残り!? 沢山のスクリーンを見ていたら、借金で首が回らなくなるように、首痛が大幅に悪化! ポジション悪化が原因!
そのうち、アーブポジションのみでは暇(そんなに数持てないし、一度作ると見てる以外やることない!)なので、アウトライト(価格リスクを負うトレード、単純な売買)をデイトレーダーとして一日4回転ぐらいする時もありました。米国債はかなり価格が日中でも動きます。チャートをフォロー自分の必勝パターンも見つけた! ライジングトライアングルでなく、下が平らで切り上がっていく、或いは上が平らできり下がるチャートパターン!
NY Institute of Financeという夜学のファイナンス学校にチャートのコースを取りました。が、初回授業で予習100ページぐらいしてったら、私以外予習してないというレベルでした。ただ、当時は自分で方眼紙にチャートを鉛筆でつけ、かなり原始的、かつ、一体何をしてんだろうとしばしば思いました!(今はブルンバーグ等で自在にチャートは出てきます。)
上司は翌年秋に、あまりに没入する私を見て、転勤させ、同じ上司の元、日本株貸株業務を邦銀で初めて開始しました。